イケハヤVS脱社畜バトル
脱社畜ブログとイケダハヤトさんを一緒にするよ 就活生に甘える社会人
直接対決ではありませんが、それぞれの意見を汲んでバトル。
思想戦的でなかなか面白いですね。
とはいえ、実は斜め読み程度しかしてませんが・・。
脱社畜ブログから漂う「受け売り」感と、その主張を見て「気づかされた」という感覚を得る読者のヤバさ 就活生に甘える社会人
そんな受け売りでない完全オリジナルの理論なんて滅多にないですし・・・。
私個人の感想に過ぎませんが、その脱社畜ブログの人は、
「正論を唱えたがる」傾向のある人に思えます。
弱者に寄り添ったという立場で「正論」めいた意見を述べたがるタイプね。
それはそれで需要はあるだろうし、戦略的にも市場価値的にも
余り間違いではないでしょう。(当然それは限定されたスタンスとなる訳ですが)
完全に全方面に万能なスタンスなんてないのだから、それでいいんじゃないのかな。
それに対する批判も、ひとつの立場に過ぎなくて、
それを十分に分かってやってるのかもしれませんがね。
自戒も含めて書いておきます。
原理的には情報全般にも言えますが、基本的にネット情報は、
それを発する人物が「完全に正しいか」などは、どちらかと言うとどうでもよくて、
現在の自分にとって有用な部分のみを、活用する。
「すぐに使えるかどうか」というフィルターを通して、
「実用面」からその情報の有用さというものを検証し、
取捨選択して活用すればいいのだと思います。
「脱社畜ブログ」を読んで、その「正論」面をそのまま信じるってのは、
かなり無茶な話ではないかと思えます。
まあそこらは全て分かった上で、それに関する議論を楽しみたくて
是々非々に論じてるのかもしれないですけどね。
しかし、どちらも古くからある2大潮流に乗っかってる「言辞」にも思えますねえ・・。
イケダハヤト=脱サラ成功組。脱サラ指南と自慢。
脱社畜ブログ=サラリーマンの悲哀と、それの基となる企業組織批判。
「サラリーマン」という語句は死語となって、
現在は「ビジネスパーソン」と表記されるようになってますが、
しかし結局それら悲しい「勤め人」相手に、昔ながらの「古い商売」を
やってるのが、それら著名ブロガー両者ではないかと思えます。
その時代で需要があれば、それら「商売」は成立するので
それらが完全に間違ってるとは思いませんけどね。
あっ、それからどちらも結局「脱社畜」を唱え実践してますよね。
だから「どちらも殆ど同じだろう」という意見は
「的を得てる」(白川解釈+村上春樹使用)のかもしれません。