科学的方法論
例えば二重スリット問題などについては、
パイロット波解釈が復権して、新展開となるかもしれない。
しかしそこらは一応、どうでもよい。
なわけである。
これは、方法論として無理やり敷衍すると
解釈 → 道具 → 次行こう!
となる。
とってもさばさばしてていいね。
気に入った。悩みが消えそうだ。
世界を成立させてる根幹の素粒子からしてそうなんだもの。
ああ、楽しい~。
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コペンハーゲン解釈、多世界解釈、パイロット解釈。 量子力学について、色々な解釈を述べてきたが、 はたして、どれが正しいのだろう? ホントウのことを言えば、どれも正しくない。 今まで、さんざん、観測してない1個の電子が、 「複数の位置に同時に存在している。2つのスリットを同時に通り抜けた」 とか言ってきたが、それだって、ホントウは、嘘っぱちである。 どういうことだろうか? まずそもそも、今まで紹介してきた話は、 すべて「○○解釈」であることに注目して欲しい。 「コペンハーゲン理論」「パイロット理論」ではなく、 「コペンハーゲン解釈」「パイロット解釈」と呼ばれていることに 注意して欲しい。
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道具主義
「概念、理論は、それらがいかに精密で無矛盾であっても、 仮説とみなされるべきである。概念、理論は、道具である。 すべての道具と同様に、それらの価値は、 それ自身の中にあるのではなく、 その使用の結果、あらわれる作業能力(有効性)の中にある」デューイ 道具主義とは、 「科学理論の役割は、結果の予測をすることなんだから、 予測と結果に整合性さえあれば、理論は何でもいい」 という考え方だ。
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だから、 「観測されると波動関数が収縮する、ことについて、 量子力学は何も説明できていない!」 と大騒ぎしても、当の科学側は、 「え?観測されたんでしょ?じゃあ、もういいじゃん? 波動関数なんか収縮しないよ。だって、もう使わないもん。 とにかく、波動関数という道具を使えば、 モノがどこで観測されるのか、その確率を計算でき、実験結果とピタリとあっている。 それ以上でも、それ以下でもないけど、ナニカ問題でも?」 という感じなのだ。 「観測されると、波動関数が収縮する、それは一体なぜか?」 科学をやっている人にとっては、この問いかけそのものが、ナンセンスだったりする