はりこ~

検索貼り付けブログ。身勝手ながら基本は個人用の予定。

これは巧いわ~

 こういうのはよくある噂の継ぎ接ぎなのかもしれない。

 それぞれの「事実」を検証してなさそうだしね。

 

 しかし「よくある」描写を羅列して、それで読ませるというのには感心した。

 こういう文章に感じ入っててはいけないんだろうけど。

 巧いと思いますよ。私の下世話な感性からすればだけど。

 

 特に後半、泣かせる描写になっており、

 「どうせこんなのよくある出来合いの零落パターンだよね」と思いながらも、

 「でもこれ本当だったら、ずっしり悲しいね」と思わせる二重のさざ波攻撃。

 

 この文章で「泣くべき」だとは思いませんよ。

 しかし「泣かせよう」と思ったら、この程度はきっちり決めるべきかとも思える黄金パターンなわけです。

 

 なお「教訓」も一応あるでしょう。

 「こんなベタな」と思うかもしれませんが、

 「ハメられるパターン」の多くは網羅してるように思えますので。

 

 大衆週刊誌的な描写とも思えましだが、なかなか学ぶべき点も多いと思えました。

 

 また添えられた清原の写真画像が良い。

 (偶然かもしれないけどね)

 良いなんて言ってる場合ではないが、「こんな顔つき」で

 そんな方面と関わってたら、そりゃ簡単に食い物にされますわな。

 それなのに結構「イイ顔」で決めてるつもりの画像が本当に哀しい。

 

 切ないねえ。

 

zasshi.news.yahoo.co.jp

清原和博の「黒い人脈」と転落~警視庁組対5課はずっと見ていた 暴力団にムシられ、最後は「売られた」 (現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

>発端は、'96年12月31日に行われた「賭けゴルフ」だと言われている。


 同年10月に巨人へ移籍したばかりだった清原はこの日、神戸のゴルフクラブにおいて山口組組員らと賭けゴルフを楽しんだ。すると翌年3月、唐突に別の暴力団構成員からその際の写真を見せられ、カネを支払えと脅されたのだ。

 「このトラブルを解決するために、清原はさらに有力な暴力団幹部に接近したんでしょう。彼らとズブズブな関係になっていった」(清原の知人)

 事実、'03年頃からは、暴力団幹部との密会がたびたび目撃されるようになった。

 清原をよく知る関西の暴力団関係者が言う。

 「確かに大阪・ミナミの『K』という韓国クラブで、山口組幹部とよく飲んでましたわ。服装はいつも同じで、Tシャツの上に黒のスーツを着込み、プラチナのネックレスをしていた。

 ホステスの評判は最悪でしたね。隙を見て乳は揉む、股に手を入れるなどの狼藉は日常茶飯事。ある時なんかホステスが立ち上がったタイミングを狙い、その子のパンティをずり下ろしたこともあった。

 そういえば、ちょうどその時、近くの席に座ってたスキンヘッドの男が、清原のあまりの醜態に怒ったんです。清原に説教するくらいやから、その男も腹の据わったヤクザの大幹部。そういうとき、キヨはケンカはせんと、かえってそういうヤクザに惚れ込む。アホなんです。それ以来、二人は仲良くなったらしいです」

現・神戸山口組組長との接点

 別の暴力団関係者もこう続ける。

 「清原はいつも、手のひらサイズの陶器の茶色い壺を持ち歩いていました。その中に大麻を入れていたんです。苛つくと紙に巻いて吸っていたようです。

 銀座や北新地のクラブには、なだめ役の『清原付』のホステスが必ずいました。私が知ってる新地の子は、他のお客と揉めそうになると『キヨちゃん、やめとき』と言って店の外に連れ出す。清原は『知らん奴にメンチ切られた』と中学生のヤンキーみたいなことを言っては、しょっちゅうブンむくれていました」

 '08年に引退し、唯一の拠り所であった野球がなくなると、清原は自分の「尊厳」を保つためか、ますます黒い人脈を広げていった。

 京都に勢力を張る「崇仁・協議会」の川村眞吾郎会長が語る。

 「'09年、二つに分かれていた崇仁・協議会が統合されることになり、京都のホテルでパーティを開催しました。それに先立って、山健組幹部の永野一雄國竜会会長から『うちのオヤジ(井上邦雄・現神戸山口組組長)の名代として、ビッグネームで花輪を送らせてもらいます』と言われたんです。そして届いた花輪には、清原和博の名前がありました」

 さらに、元山健組の構成員もこう証言する。

 「本人から直接聞いたんですが、高山さん(清司・六代目山口組若頭)と飲んだことがあると言っていました。5年ほど前の話で、三宮のクラブです。その時は、司さん(忍・六代目山口組組長)の息子さんが清原さんの大ファンで、ぜひ会いたいとせがまれたみたいです。清原さんは、『息子を味方につけたら、強いでぇ』とニヤついてました」

 ヤクザが、それも大幹部が、何の目的もなく、有名人と「友達」になることはない。利用価値のある男だと思われているのも知らず、清原は尻尾を振って近づいていき、ムシられ続けたのか。

 この頃すでに、彼の身体はシャブ漬けになっていたのだろう。以降、分別ある40代とはおよそ思えない、「奇行」が目立つようになっていく。

 '09年6月のことである。本紙は、妻・亜希氏ではない女性と海外旅行に出掛けていた清原に、帰国後、事情を聞くべく直撃。すると、おもむろに近づいてきた清原は、本誌記者を睨みつけ、こう説教したのだ。

 「お前は子供に背中を見せられるか?こんな仕事をして背中を見せられるんか?俺は子供に背中を見せられるぞ。仕事なら俺が紹介してやる。なあ、真っ直ぐに生きようや、オイ!」

 

さらに'14年頃には、親しい球界関係者の間でも、「清原さんの様子がおかしい」と囁かれ始めた。

 「夜中に突然電話してくるんですが、ろれつが回っておらず、何を言っているかまったく聞き取れなかったことがよくありました。酩酊してるというよりラリッてる感じでした。あの人は酒を飲んだら暴れますが、人を『シバくぞデブ』とおちょくったり、その場にいない人を『ボケェ』と罵ったりするくらいで、意識ははっきりしてましたから」(在京球団関係者)

 あまりにも異様な清原は敬遠され、解説やテレビ出演といった仕事は激減。'14年8月に亜希氏との離婚が成立し、養育費の支払いなどが発生したことも重なったのだろう。現役時代に稼いだ生涯年俸総額51億円は底をつき、愛車をネットオークションに出品する始末に。

 「組対は亜希さんからも話を聞いていたでしょう。クスリの場合、離婚や別居した相手から当時の様子を聞くのは、捜査の常套手段ですからね」(前出の捜査関係者)

 しかしそれでも、'15年夏頃には、清原は大手芸能事務所の後ろ盾を得て、再び露出し始めていた。

 「黒い人脈はすべて切る。シャブは絶対にやらない。それを約束するというので、芸能事務所はマネジメントを請け負ったんです。しかし結局、ダメでしたね。裁判の結果、清原に執行猶予がついたとしても、もう彼を助けようという業界関係者はいないでしょう」(大手芸能事務所関係者)

 もはや悪の道から抜け出せないことを悟っていたのか。昨年末、PL時代の旧友と再会したときに語ったのは、「あの頃」の話題だけだったという。清原の1学年上の代でキャプテンを務めていた清水孝悦氏が語る。

 「終始、高校時代の思い出話でした。つらかった練習を振り返るときも、常に笑顔やった。清原にとって僕は厳しくて嫌な先輩だったと思うけど、『叱ってくれるありがたい存在でした』とも言っていました。

 なんでクスリに手を出してしまったんか。本当は性格の弱さが可愛いエエ奴なんやけど、その弱さを虚勢で隠し、抱え込んでしまったんかな……」

 悪ぶることでしか自己表現ができなかった淋しき番長・清原和博。シャブ漬けになったのは、誰のせいでもない。すべてが自業自得である。

 「週刊現代」2016年2月20日号より