使い捨ての人格
「死ね」が口癖になっている人に、直接理由を聞いてみたらいろいろ分かった - ねとらぼ
>――今後も「死ね」という言葉を使い続ける予定ですか。どこかでやめようとかは思わない?
「いや、もう無理でしょ。少なくとも、ネットで誰に向けてでもなく話す場合に限っては。身に染みついてとれなくなっている。だからせめてとルールを設けている。それで品の悪さが相殺されるとはちっとも思ってないけれど、やめるときはネットそのものをやめてるよ。さっきも言ったけど、しょせんは使い捨ての人格だし」
これは間違ってるというか、良くないと思いますよ。
道徳的なことや礼儀としてなどと言いたいわけではないんですよ。
人格はそんなに簡単に使い捨てできないのです。
使い捨てはもったいないとかの話ではないですよ。
また人が豹変するのは見苦しいとかいう話でもありません。
人格は行動習慣の集大成なので、言葉使いも当然含まれ、
それがネット上の人格に過ぎないと割り切ってるつもりでも、
実はいつの間にか、それに影響を受け浸食されていくはずです。
個人的体験に過ぎないかもしれませんが、
私は何か失敗してしまった時に、「あ~、もう死にたい」などと
ジョークめかして言ったり、内心つぶやいたりしてました。
日常的に小さな失敗は多数あるので、「死にたい」を何度も繰り返すことになります。
また人生には時には深刻な失敗もある訳であって、そういう場合に「死にたい」とつぶやいたりすると、本当に深く精神的ダメージをくらうことになります。
そしてそれらが「蓄積」されていくと、心がどんどん沈みこんでいくのです。
「死にたい」→「(自分、)死ね」 でもあるので、その逆も含めて相互に非常に親和性高いですね。
それで欝気分がどんどん進行することになるわけです。
欝気分が深まっても殆ど何もいいことはないですから、損ですね。
ここまで書いていって、よくある自己啓発本に書かれてる
「成功する言葉を何度もつぶやこう」という結論にもっていこうとしてる訳ではありません。
これまた個人的体験ですが、あれは殆ど効果出ないですね。
少なくとも私の場合は、そういう事を実行しても、目ぼしい効果は現れまでんでした。
しかしその逆の「イヤな言葉」を繰り返す事による、気分の落ち込みや欝状態へという方向には見事にそれが作用してたと思えます。
僅かな個人的体験を普遍化できるか分かりませんが、
「死ね」などの口癖や書き癖はやめておいたほうが良いように思えます。
結構きちんとダメージが来て、その逆にそれを回復させようとしても余り効果の上がる方法がありません。
そうやって悪化した精神状態や人格も、簡単に捨てる事はできないはずです。
道徳的にどうとかいうよりも、それで最終的に損をかぶるのは自分ですからねえ。
なお、人格を使い捨てるように、簡単に変えられる方法があれば、知りたいものだと本気で思ってます。
自分で自分が本当にイヤになるって事は結構ありますからね。
「欠点の多い古い人格を捨てて、新しい優秀な人格となれたらいいな」と虫の良い事を考えたりもするのですが、そんな願いを叶える簡単な方法を未だ知りません。
そんなに凄い優秀な人格にならなくても、「落ち込みやすさ」程度は改善できたらいいと思うのですがね。
薬物によるものは主として一時的高揚感などであって、それが切れればお終いです。そういう方面のものは違法薬物が殆どですしね。
また薬物常用による人格改変というのは実際に起きるでしょうが、ほぼ全て人格が破壊されるという意味での究極の改悪に近いものでしょう。
あとは「洗脳」や「催眠」ですかね。
これらもある意味「劇薬」ですよねえ。
カルト勢力などと関係ありそうだし、使い方によっては極めて危険そうです。
脳科学が進歩してるので、その内にそういった手法が一般化されるのかもしれませんが。
「人格を簡単に使い捨てて、優れた新人格を得て生活できる」
こういった方法を開発・確立して事業化すれば、ビッグビジネスとなるでしょね。
誰かやってみませんか?
(そういうのに自己啓発セミナーがありますが、あれも効き目大したことないですからねえ)