小保方問題を乗り越えよう
関連記事に触れる度に、いや~な気分になってた小保方問題。
ここでまた手記出版ということで、ネット上にも関連記事が増えてきた。
最初は無視を決め込むつもりだったのだが、
ついつい関連情報を見てしまうものだから、
「もうこれはきちんと読んで、自分なりに乗り越えるしかないだろう」
と思った次第である。
書評としてはこれが面白かった。
しかし太宰に例えるには、比肩するほどの「文章たらし込み術」がないと思うけどね。
太宰が素晴らしいと言ってるのではないよ。
飽くまでも「たらし込み」文章についてなら、太宰の方がずっと上だろうという話。
>たとえば、自分の研究を指した「感想した大地の上に、無限の石の塔がある。空気は暑く乾燥していて、空は青く高い。あるところには丸い石の土台に細長い石が乗り不安定に空高くそびえたっている。小石がいびつな形で寄り集まって小山になっているものもある。しっかりした四角いレンガが低く積み重なったものもある。いびつながらも固い石が高く積み重なっているものもある。先端が風化して土台だけを残し、砂の残骸になっているものもたくさん見える。崩れた石の塔もたくさん見える。この世界を思い浮かべるたび、科学の女神の神殿を永遠に造り続ける作業のように思えた。(136頁)」という表現や共同研究者が亡くなったときの「笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった。(220頁)」という表現である。陶酔していてよくわからない。感受性が豊かすぎるのだろう。
ここらについては、普段から実験ノートも付けず、科学ではなく妄想、
しかも「自己賛美」を脳内でしてるばかりの日々だったであろうから、
ごく自然とこういった「素晴らしい」(あくまでも当人にとっては)
という文章になっているのだろう。
だからこういった文章を披露することで、
「私って、イメージ豊かで文章上手いでしょう」といった
自己賛美を見せており、自己愛着的過ぎる「本性」を垣間見せている。
人格判断するに「貴重」な部分となっているとも言えよう。
まったくもって気色悪い人だなと思うが、そういう人物である可能性が高いと感じた。